私とお金


 雑文コンテンツの記念すべき第一作(?)目にして、いきなり俗物的な話題ですが、お金というものは、私にとって長年頭を痛めてきた問題でして、この機会に語っておきたかった。なので、今回は私のお金にまつわる話をしたいと思う。

 さて。ではお金とはなんぞや、という根本的な事を考えてみると、人それぞれ意見はございましょうが、人間社会において、なくてはならないものの一つであると思う。まぁ、当たり前の事だ。
 人間として生きていくための衣食住、全てにおいて、お金なしじゃ何もできない。
 お金よりも大事なものがあろうが、だからといってじゃあお金なしでこの社会で生きていけるのかというと……まぁ生きていけない事はないのかもしれないけれど、生きづらい事は確かかと。

 やっぱりさ。お金が全てじゃなくても、お金はあった方がいいじゃん。

 そう考えるようになったのは、中学生くらいだった。
 私が物心付いた頃から、私の家の経済状態は洒落にならないくらい逼迫していた。
 新しい洋服を買ってもらえないとか、玩具を買ってもらえないとか、そんな贅沢な問題以前に、生活費がないような状態だった。
 どうやら、父の仕事がうまくいっていなかったのが原因だったらしいのだが(それに加え、うちの両親はどうやら経済観念もあまりなかった。それは後々になって分かってくる事だけど)、その後、親戚を頼って引っ越しをし、親戚が経営する飲食店で夫婦そろって働き始めてからも、経済状態は大して変わらなかったようだ。

 どれくらいの状態だったのか。まず、うちには電話がなかった。私くらいの年代で、家に電話がなかったというのは、多分珍しい事だと思う。学校で当たり前のように電話連絡網とかあったし。なので、うちへの連絡は近所に住んでいた親戚の家(両親が働いていた店)に電話してもらっていた。
 そして、よく電気やガス、時に水道も止められていた。水道って、よっぽどじゃないと止められないと後になってから聞いたので、それじゃぁうちはよっぽどだったんだと、後になって分かった。
 食費もかなり厳しかったのか、ご飯は飲食店を経営している親戚の家からのおすそ分けがほとんどで、時にはその親戚の家へ行って食べさせてもらっていたような状態だった。
 五百円を渡され、「おばちゃん(親戚の)にこれでお米少し分けてって言ってきて」 と言われた事もあった。恐らく、店では五百円じゃお米が買えなかったんだろうと思う。
 もちろん、家で食べる事もあったけど、後から考えるとかなりお金のかからないメニューだった気がする(主に炭水化物系、動物性タンパク質なしが多)。
 洋服などは当然お下がりで、それも年の離れた従姉妹からもらったものなどで、はっきり言ってボロボロ。おまけに数も少なかったから一週間に二度、三度と同じ服を着て学校へ行く事になり、私はクラスで「乞食」 とからかわれていた。
※注:乞食というのが差別用語だとおっしゃる方もいるでしょうが、言われたのは事実なのであえて書かせていただきます
 生活費がない上に借金もあったようで、両親は親戚にお金を借り、何とかしのいでいたらしい。そのせいもあってか、親戚の人たちはあまり優しくなかった。その頃の親戚の記憶というのは、皆冷たくて嫌な人たちという印象しかなかった。今思えば、迷惑をかけていたのだから、それも仕方のない事だと思うけれど……。

 まぁ、そんな状態だったから、両親はかなり精神的にも辛かったんだろうなと。
 ある夜、両親が突然『ドライブでもいこうか』 と言い出し、私たち子供を乗せて車で走り出したのだが、どうも様子がおかしい。
 滅多な事で酔っぱらわない父は結構酔っぱらっていたし(しかもそれで運転していた)、母は何だか暗い。
 子供心に、何か変だなぁ、と思ったが、そこはやっぱり子供。直感的に何かを感じ取っていても、それを言語化して言えるほど分かってもいなかった。
 とにかく、私はその様子が変な両親をよそに、やたらはしゃいでた気がする。姉と一緒に。
 結局、どこへ行くでもなく、その辺を文字通りドライブして割と遅くに家に帰り、その日はそのまま寝た……と思う。あまり記憶はないけれど。

 その後ドライブの本当の目的を知る事になったのが、中学生の時だった。
 何故そんな話になったのか、よく覚えていない。でも、母の一言は覚えている。

「実はね……あの時は一家離散か、心中か。それしかないと思って出かけたんだよ」

 つまり、両親は死ぬつもりでドライブに出かけたのだ。どこでどう死のうとしたのかは分からないけど……。
 それを聞いた時の気持ちは、何と表現すればいいか。
 思い止まってくれてよかった。生きていてよかった。
 私だけじゃない。姉ももちろんそうだし、弟なんか、もしかしたらこの世に存在すらしなかったのかもしれない(現に、両親は経済的な理由で弟の出産を一時期悩んでいたらしい)。
 両親がそこで頑張って踏みとどまったからこそ、今私や私の姉弟は生きているんだ……。
 だけど、その時安堵と同時に沸き上がった気持ちが、もう一つあった。
 そんな事知りたくなかったという、怒りというか、やるせなさというか……。
 いろんな感情が混じりあって、嬉しいのか悲しいのか腹立たしいのかよく分からなかった。多分、全部なんだろうと思う。

 私が知る限り、父は子供も一人の人間として扱ってくれる人道的な考えの持ち主だった。また、母も快活だし根性のある人で、逆境にも負けない強さがあった。
 『お金がない』 という状態は、そんな人をそこまで……自分と家族の命を絶ってしまいたいと思うほど追い詰めるのだと、痛感した。
 そして、『だったら私は絶対そんな風にはなりたくない』 と強く思った。
 『お金が全てじゃないというのは、お金を持っていてこそ言える台詞だ』 と。

 それからの私は、お金に執着していたと思う。
 宝くじが当たったら、一家全員楽に、しかも贅沢に暮らせるのに……などという空想に浸る(笑)事から、いかに早く、安全に、いいところへ就職できるか。その為にはどこへ進学すべきか。バイトはいつから、どこで始めるべきかという現実的な思案まで。
 とにかくお金を手に入れる事ばかり考えていた気がする。犯罪的な事を考えなかった(というか、犯罪はリスクを考えたら割に合わないとか、冷静な事を考えてた)のは我ながらその頃の自分を褒めたい気持ちでいっぱいだ。
 結局、中学卒業と同時に働きたかったけれど、既に中卒ではいい就職先がないような状態だったので高校だけは行く事にした。その高校も就職に有利だという理由で商業科にしていたし、中学卒業と同時にバイトを探し、入学式前からバイトを始めていた。

 バイト代が入ると、当然自分の懐は潤う。懐に余裕が出てくれば、何でも、とまではいかなくても、ほしいものを手に入れる事ができる。やりたい事もある程度ならできるようになる。
 ずっと欲しかった物を買ったり、新しい洋服を買ったり、町の吹奏楽団で音楽を再び始めたり(本当は、音楽関係の学校に進みたいとちょっと思っていた)。
 なんだ。お金があるってこんなに色々楽しめるんじゃん。そう思った。
 ほしいものを手に入れたり、やりたい事をやるのがこんなに楽しい事とは思わなかった。
 昔は自分で稼ぐ事ができなかったからあんなにも惨めな思いをしたけど、これからは自分で何とかできる。そう思っていた。
 実際は、父の新しい仕事が軌道に乗り、いくらか経済的余裕が出てきたせいもあったのだけど、その時の私は全て自分の力だ、みたいに思っていたところがあった。本当に、視野の狭い人間だったなぁと思う。

 しかし、そんな生活も再び雲行きがあやしくなってくる。俗に言うバブル崩壊があった為だ。
 やれリストラだ、就職難だと大騒ぎだった頃、私は高校二年生だった。
 不況不況と騒がれる中、その波に乗るかのように(乗るなよ、そんなもん)私はバイトをクビになった。理由は人件費削減のためだった。
 それと同じ頃に、父もまたリストラされた。おかげで立ち直りかけていた家計も一気に悪化した。

 私は再びバイトを探し、時給は安いものの何とか新しいバイト先を見つける事ができたが、父はそう簡単にはいかなかった。年齢が年齢だし、リストララッシュのさなか、働き盛りの世帯主が働くような就職口はそうそうなかっただろうと思う。
 一家はパートで働いていた母とまだ入社二年目だった姉の稼ぎだけでやっていかなければならなくなったのだ。

 本当に、一度持ち上げられた後に、再び地面に叩きつけられたような気分だった。
 いくらバイトしたって、もうそのお金は自分の好きなようには使えない。母の稼ぎだけでは生活するだけでいっぱいいっぱいで、私の学費は自分のバイト代で払うようになっていた。
 かなり間は空いたが、何とか父も次の仕事を見つける事ができた。朝から夜遅くまで、休みもほとんどないキツい仕事だった。収入も、かなり落ちたが贅沢など言っていられなかったのだろう。
 家の皆が不安と行き場のない怒りを抱えて苛立ち、父は自分が悪い、不甲斐ないと泣き言ばかり言っていた。家の空気は最悪だった。

 やっぱり、と私は思った。
 やっぱり、経済的余裕がないと、家族はこんなにも脆く崩れてしまうんだと思った。

 次の年、私は高三になり、就職活動を始めた。とにかく、給料がよくてつぶれなさそうな会社を探しまくった。そして片っ端から希望を出して、何とか県内の割と大きめな会社の事務職として内定をもらう事ができた。
 さすがに、何かと忙しくなるのでバイトは辞めたのだが、おかげでよく学費を滞納する羽目になった。
 普通は銀行振込なのだが、振込が間に合わず私は幾度となく滞納した学費を直接事務所に持って行っていた。
 そこの事務員に『すっかり常連さんだね』 と笑いながら言われた事があったのだが、その時は正直鈍器で頭をかち割ってやりたいくらい腹立たしかった。ホント、『笑い事じゃねーんだよ!』 ってなもんだ。

 貧乏って、すごく惨めだと思った。
 好きなことができない。生活もままならない。いつも不安で、先行きが見えなくて。
 しかも、貧乏は周りの人間から馬鹿にされる。
 実際、私は小学校の頃「乞食」 と馬鹿にされたし、中学校の頃流行っていた本やCDなどを買えず流行りに乗れず何となく仲間から外れていた。後者は、私が卑屈になっていた部分もあるかとは思うが。
 差別はよくないだとか何だとか言いつつ、結局人は自分より弱いもの、劣るものを見て安心するんだろう。その為に、自分より弱いもの、劣るものを見つけては笑い、馬鹿にするんだと思う。

 話がそれてしまった。
 とにかく、就職する頃には完全に『世の中金さ』 という考えが私の頭の中に出来上がっていた。

 その後も父は仕事が続かず、結局無職状態が続くようになってしまった。
 そのため、私は就職してからすぐ給料のほとんどを家に入れ、それでも足りずに、徐々にカードでキャッシングをするようになってしまっていた。姉が結婚して家を出たせいもあったが、とにかく、親戚にももう借金を頼む事も出来ず、他にどうしようもない。他に考えつかなかった。
 それまで何とか地道に貯めていた積み立ても、銀行の借入で通帳残高はマイナス状態。事実上、積立金を使ってしまったようなものだった。

 働けど働けど我が暮らし楽にならず……じっと手を見たところで金なんか沸いてきやしねーよ、ちくしょー、と何度思った事か。
 三年とちょっと働いた最初の会社を辞め、退職金をもらい、派遣として時給のいい仕事に就き、何とかしのぐ毎日。恋愛ではあまりの金のなさに当時の彼氏に不審がられたり、金銭感覚のズレでケンカしまくりの荒れまくり。遂には別れて憂さ晴らしに飲み屋に飲みに行けば、酒代をたらふく払って次の日の朝にがっくりと肩を落とし……。
 そして、ついに私はブチ切れた。

 もう、自分以外の者の為に金使うもんかあぁーーーーー!!

 私は勘違いしていたんだと思う。
 確かに、お金がなかったが為に、うちの家族は不幸だった。だから、少しでも経済的に楽になれば、家族もまた変わっていくんだろうと。その為に必要なお金を渡さなければと。
 だけど、そのお金は結局キャッシングしたり定期を担保に借金したお金で、本当の意味での『自分のお金』 ではなかった。だから、私には支払いという負の財産が突きつけられ、余計しんどかった。
 また、父もいくら電話しても面接すらしてもらえない。しても断られてしまうという状態で少しずつ働く気力を奪われ、そこへ娘の私がデカい顔してお金を持って来るもんだから、ますます働く気が失せた事だろう。それと同時に、きっと一家の主としての自尊心を傷つけられたのではないか。
 私のやっていた事は、結局自己満足で(もちろん自分では家族の為だと思ってやっていたけど)、家族にとってあまりプラスにはならなかったように思う。
 よく、親が甘やかしすぎて子供がダメになるというが、きっと似たような状態だったのかもしれない。

 事実、私が『もうお金は一銭も入れられない』 と親に宣言し、実際によっぽどの事がない限りお金を渡さなくなってから、親も変わり始めた。
 そうすると不思議なもので、これまで同じ収入でもひーこら言っていたのに、なぜかちゃんと家計が回るようになる。もちろん、厳しい事に変わりはないのだけれど、それまで見落とされてきた無駄がそぎ落とされたかのように両親の倹約ぶりが発揮されたのだ。

 そうと分かった時の私の気持ちを正直に言うと、『何でもっと早くそうしてくれなかったの?』 である。
 でも、両親もきっと気付かなかった……というより、分からなかったのだと思う。
 経済観念がないのは、本人の責任ばかりでもない。それを身につける機会がなかった事。教えられなかった事も大いに関係がある。
 どうにかしなければ。でも、どうしていいか分からない。そういう状態って、結構しんどいと思う。

 ……などと両親を弁護しているが、その当時はそう考えられなかった。
 私の渡したお金を無駄に使いやがって〜〜〜! と恨みがましく思ったものである……いや……正直言うと、今もちょっと思っている(笑)。

 何はともあれ、『脱・貢ぎ宣言』 をしてから、私の預金通帳のマイナスも、カードキャッシングの支払残高も少しずつ希望が見え始めた。
 それに気を良くして、少しずつ無駄遣いも増えたわけだが(笑)、後に今の旦那と付き合うようになり、結婚も考えるようになると、私は猛然と借金返済の為に倹約しまくった。
 そして、何とか借金だけは返済。預金はまだマイナスだったが、あと少し頑張れば積立分も取り戻せるくらいまでになった。
 それで、ようやく私も旦那と結婚する意志が固まった。

 当然、嬉しかった。今の旦那は仕事もちゃんとしてるし、金銭感覚もしっかりしている。もうお金に悩まされる事もない(誤解のないように言っときますが、もちろん、愛があったからこそ結婚したんですよ)。何より、私はキレイな体(正確に言うとキレイな通帳)になれたんだ……。
 もう今までにないくらいの舞い上がりっぷりだった。

 それでも、世の中そうそう上手くはいかないもので……私は別の問題に悩まされる事になった。
 ずっとマイナスだった通帳がプラスになっている。それはもう私が自由に使えるお金だ(と言っても微々たるものだが)。
 自分自身のこれからの生活の為に、自分の為に使えるお金。
 なのに……なのに、使えない。
 どう使っていいのか分からなかったのだ。お金は生活する為にあるもので、私にとっては手にしたそばから飛んで行ってしまう、私のところには一時だってとどまっていない儚い(笑)ものだったのに。
 そのお金達(?)が、私の預金通帳に定住し始めているのだ。
 これ、どうしたらいいの??
 『好きに使ったらええがな』。とけしかける私がいる一方で、『無駄遣いしたらあかーん! いつまた貧乏になるかわらかんでー』 と脅す私もいる。

 どうしよう、どうしよう……。そればっかり考えていたら、何だかお金というものがすごく怖くなってしまった。
 結局、そんな不安定な精神状態が続き、ついには鬱病の診断を下されるまでになってしまうわけだが(要因は色々あって、お金の問題ばかりではないと思うが)、私なりに考えるに、私は『お金に振り回されていた』 のではないだろうか。
 つまり、適度な距離を保ってお金と付き合う、という事が出来なかった。
 お金は、今までがむしゃらに求めてきたものだったのだ。お金をつかまえようと追って追って、ひたすら追いかけて、やっと手にしたと思ったら今度は扱い方が分からず混乱してしまい、結局遠巻きに眺めるしかなくなってしまったのではと、自分なりに考えている。
 それと同時に、私は好きにお金を使う事に、罪悪感を感じていた節もある。
 何かほしいものがあって、それを買う。でも、大体買った事に後悔してしまうのだ。
 あー、こんなのにお金使っちゃった……。といった具合に。
 それでは、どんなに好きな事にお金を使ったって、気持ちよくない。
 後悔するなら使わなければいい。だけど、使いたい。どうすりゃいいの?

 私はお金にすがりついていた。
 お金がなくてもあっても、私はお金の存在に一喜一憂し、振り回されていたのだ。そりゃー、疲れるわ。

 私にその事を気付かせてくれたのは、ほかならぬ旦那だった。
 うちの旦那は、お金の使い方が上手いと思う。
 別に貯金がいっぱいとかいうわけでもないし、お金もうけの天才というわけでもない。
 なんといえばいいのか。精神的にプラスになるようなお金の使い方をすると言えばいいのだろうか。
 性格もあるのだろうけど、本当に必要なお金は割り切って使えるし、自分の好きな事に使う時は本当に楽しそうにお金を使う。
 これって当たり前なのかもしれないけれど、私には考えつかない使い方だった。特に、楽しんでお金を使うというのが、私にはずっと出来ない事だった。

 うちの旦那はよくパチスロにいくのだが、最初、私はそれがすごく嫌だった。
 ギャンブル=借金 みたいなイメージがあるからだ(うちの父はギャンブルも酒もほとんどしなかったのに借金あったけど……)。
 でも、旦那にとってパチスロや競馬は『趣味』 なのだ。私が本を読んだり音楽を聴いたりするのが好きなように、旦那にとってもギャンブルは楽しい趣味なのだと言う。
 スロットなら、台の特性を調べ、研究し、その成果を確かめる為にパチスロへ行く。
 競馬も同様で、研究してその成果が結果に結び付くのが楽しいようなのだ。どうやら、根っからの研究好きらしい(旦那の仕事は開発研究職)。
 『楽しめて、お金も時々儲かって、更に楽しい♪』 と呑気に言う旦那を見ていて、つくづく思った。

 お金に関連する不幸というのは、お金に執着してしまう事からはじまるんだなぁ……と。

 借金は、お金に執着するあまり、身の程をわきまえず使ったり借り入れたりして出来てしまうものなのかもしれない。そして、執着するからそれに振り回されるのだ。
 もし、旦那がスロットを楽しむ為ではなく稼ぐ事を第一としたら、勝ち負けに一喜一憂し、楽しむどころではなくなるかもしれない。
 お金がたくさんありすぎてもまた、不幸が生まれるように(例えば相続問題だとかね)、執着する事が問題であり、お金の多少の問題ではないのだ。

 これって、恋愛に置き換えても同じ事だと、今書いていて気付いた。
 愛情と執着は違うのだ。愛情(好意)が執着に変わった時点で、その恋愛はうまくいかない。
 恋愛論で考えていた事を、金銭論で思いつかないなんて、私って割と馬鹿……。

 お金は大事だ。でも、大事なのはお金の量ではなくて、お金の質……と言うと変だけど、使う内容の問題なのだと、齢二十九歳(後二ヶ月ほどで三十)になってようやく理解できたのだった。

 理解できたからと言って、それを完璧に実践できるかどうかは分からない。でも、お金の事で苦しんだ時、そしてそれが執着して起こる苦悩だった時、私は今までよりは早く、それに気付く事ができると思う。うん。多分……できる事を期待しよう。

 何はともあれ、長年苦しめられてきた『お金の呪縛』 を解いてくれた旦那様。あなたには本当に感謝です。




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