フィルター越しの顔


 顔というのは、自分も他人も一番目にする部分、無防備に人目に晒している部分だと思う。
 それが化粧や整形などで形を変えたものであったとしても、顔そのものを隠す事はできない。宗教的な理由などで顔を隠す人もいるけれど、大多数の人が顔を表に出す事に抵抗はないだろうと思う。
 他人を「この人は●●さんだ」 と認識する時や、「この人は機嫌悪そう」 とか「この人は優しそう」 とか、その内面までも、人は顔で判断する事が多い。
 それだけ、人の顔は自分や他人を認識したりする上で重要な箇所だと思う。
 けれど、普段私たちが目にし、認識するその顔は、本当に正しく認識されているのかと、そうとは言い切れない。人の目というのは案外いい加減。気分次第で見方も変わるし、立場が変われば全く別物になってしまう。

 昔、私は自分の顔が嫌いだった。
 目がつってて、エラが結構張ってて、なのに頬は丸くて、鼻は低くて。
 そういうと、大抵友達や家族は「そんないう程変な顔じゃないよ」 などと言うのだが、とにかく私は自分の顔が嫌いだった。人に何を言われようと、どう褒められようと、好きになれなかったのだ。
 小さい頃の私の顔は、目がキリリとつっていて、あまり子供らしい顔ではなかったようだ。まぁ、要は凛々しくて(笑)かつ老け顔だったんだけれど、それがたまらなく嫌だった。
 少したれ気味のパッチリとした目と、ほっそりとした頬と顎。そして、全体的には可愛らしいというか、どちらかというと童顔な感じの顔。私はそういう顔になりたくてなりたくてしょうがなかった。

 で、時を経てもうすっかりいい大人になった私の今の顔はというと、昔よりも目が少し垂れた気がする。顔が丸いのは相変わらずだけど(苦笑)、目の印象がかなり変わったと自分では思う。
 ……思うのだけれど、他の人、特に昔から私を知る人に言わせると、どうもそうではないらしい。
「目が昔より垂れたと思うんだけど」
 と言っても
「う〜ん……そうかな? 昔だってそんな言うほどつり目じゃなかったと思うけど。っていうか、むしろ昔っから顔が変わってない」
 などと言われてしまう。
 どうやら私の顔は、私が思っているほど変化してはいないようだ。自分では結構変わったつもりだったので、ちょっと意外というか、がっかりというか……(笑)。
 先日、中学の同級生に偶然会ったのだが、苗字が変わっているにも関わらず(職場で会ったので名札をしていた) すぐ私と分かったようで、やっぱり「顔とか全然変わらないねぇ」 と言われた。

 その一方で、私は旦那と一緒にいると二人とも顔が似てきたと言われる。
 旦那はどちらかと言うと垂れ目で、鼻も高いし私とは顔の系統が違うのだけれど、「似てきた」 と言われるのだ。
 変わらないと言われる一方で、似てきたとも言われる。旦那の顔が変わったという事か? とも思ったけれど、私が見ている限り、旦那の顔は特に変わったとは思わない(毎日見ているから変化に気付かないだけかもしれないが)。

 ということは。変化しているのは顔の作りではなく、顔を見る側の目なのだろうか。
 それは自分の目だったり、赤の他人(もしくはそれに近い関係)の目だったり、友人や家族だったり。
 そのそれぞれの目には、それぞれ先入観などのフィルターがかかっていて、そのフィルターでいくらでも歪んでしまうのかもしれない。
 私の場合、自分の顔に対するフィルターが割と大きく変化したせいで、自分の顔が変わったと感じ、私に対するフィルターが変化していない人から見ると、大して変わっていないように見えるのだろう。
 夫婦揃って並んでいれば、二人セットになったフィルターができるのかもしれない。だから夫婦の顔は似てくるとか言われるのだろうか。

 話は少し飛ぶが、最近醜形恐怖症というか、それに近いんじゃないかと思えるような人にお会いした。
 女の私から見てもかなり美人というか、端正な顔だちの部類に入ると思うのだけれど、本人は自分の顔がすごく気に入らないらしい。自分の顔に対し「最低だよ」 とまで言うくらいだ。
 よく、謙遜から「そんなことないよ」 とか「全然美人じゃないし」 という言葉を言う人もいるけれど、そういったたぐいのものではなく、本人は心の底から自分を「ブス」 と思っているようだ。
 その人も、きっと自分の顔のちょっとした欠点をクローズアップしてしまったりするフィルターがかかっているのかもしれない。
 そうすると、その人は周りが何を言っても、本人の目からそのフィルターが外れない限り、本人は納得しない。自分をブスだとだと思い続けるのだろう。
 フィルターの歪みが、コンプレックスを刺激する。きっかけは外部からのちょっとした刺激(例えば心ない中傷などを受けたり)かもしれないが、その後コンプレックスとなって自分を苦しめるのは、そのきっかけによって歪んでしまったフィルターのせいなんだろう。

 もったいないなぁ、と思うのだけれど、考えてみれば、私も昔は自分の顔が嫌いで、周りから何を言われようが自分は見紛う事なき「ブス」 だと思っていた。まぁ、実際第三者から「ブス」 だの「デブ」 だの言われた事もあったので(苦笑) 、少なくとも美人ではなかっただろうけど。
 当然、いつもいつも「自分ってなんでこんなにブスなんだろう」 とクヨクヨする羽目になった。別に、誰も注目してもいないのに、人目がやたらと気になっていた。

 それでも、私は最近になって自分の顔がそれほど「ブス」 だとは思わなくなった。別に「美人」 とも思っていないけれど、要するに「嫌い」 ではなくなったのだ。
 まぁ、皆が振り返るような美人ではないけれど(笑)、これはこれでいっか。といった感じだ。

 私の、自分に対するフィルターがどこでどう変わったのかは分からない。分からないけど、面白いなぁと思う。
 自分の顔が嫌いだったころの私は、一体どんなフィルターで自分を見ていたんだろう。
 今考えてみると、非常に自意識過剰な歪みの生じたフィルターだったのかもしれない。
 要するに、「もっと美人なはず」 などという自意識過剰な部分があって、その自意識と現実とのギャップがあった為に、鏡で見る自分を必要以上に「ブス」 と思っていたのかな……と。よくある「私って写真写り悪いの〜」 現象でしょうか(笑)。

 現実の己を受け入れる事ができたからなのか、自分の価値観が変わったからなのか、はたまたナルシシズムなフィルターに切り替わったのか……。
 理由はともかく、今の私は鏡を見ることも苦ではなく(見とれたりはしませんが)、非常に精神的に楽である。
 ……楽ではあるが、己の容姿にこだわらなくなりすぎるのも考えものだ。これから何の努力もせず、衰えるままに(そう。そろそろ衰えを感じる年代になりつつある)過ごしてしまっては、さすがに「それはまずいよ……」 という状態になってしまう。

 適度なフィルターを持つことも、なかなか難しいものだと、つくづく思う、今日この頃。






SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送