Chocolate

SEASON

Chocolate

 授業開始までまだ一時間以上もある。にも関わらず、教室の中は暖かかった。
 教室の隅には古い石油ストーブが置かれていて、そのストーブがガンガンに効いていた。
 で、そんな教室のほぼ真ん中辺りの席に、俺の顔を見てちょっと固まっている女が一人。クラスメイトの山岡菜穂だった。
「お、おはよ……」
 その手には、えらく乙女チックなラッピングを施した――恐らくバレンタインのチョコだろう――箱が一つ。
 そういえば、今日はバレンタインデーの一日前だったな。今年は土曜日だから、金曜日の今日、チョコを持ってくる女も多いんだろう。
 そんな事を考える俺の前で、彼女は素早くそれを机の中にしまい、いつもと同じように愛想のいい笑顔で言った。
「珍しいね。渡部くんがこんな早い時間に来るの」
「まあね」
 その言葉からすると、毎朝こんな朝早く登校してるんだろう。部活をやっているわけでもないのに。
 俺はマフラーと手袋を外しながら自分の席に鞄を置いた。で、そのまま彼女の前の席に、横向きに座る。相変わらず笑みを浮かべながらも、明らかに困惑する彼女の顔。
「そんな嫌な顔すんなよ」
「別に……嫌な顔してないけど?」
 そう言いつつも、彼女は何もない机の上に視線を落とした。
 この高校は部活動もそれほど盛んじゃなくて、こんな朝早くから学校に来ている生徒は数少ない。
 人の話し声はしないし、足音も聞こえない。人の気配もない。いつも一時間目ギリギリか、下手すると何時間も遅刻してくる俺にとっては、この静けさは新鮮な雰囲気だった。
「さて、と」
 彼女は静けさを振り払うように言うと、机の中からノートと英語の教科書を出し、ペンケースからシャーペンや蛍光ペンやらを取り出して並べる。
 動くたびにサラサラと流れる長い黒髪は、彼女の性格を表すように真っ直ぐで隙がないくらい整っていた。
 校則のゆるいこの学校は、猫も杓子も茶髪が当たり前で、化粧もばっちりしている女ばっかりで。そんな中で、彼女の存在は、結構浮いた存在になっている。
 真面目で、成績優秀で、誰からも好かれる人格者。そういう彼女が、前は嫌いだった。見ているだけでむかつく存在だった。
 いつからだっただろう。それが、いつの間にか『好き』 という感情に逆転したのは。
 我ながらガキだなと思う。
 最後に取り出したのが彼女お気に入りのお菓子、ポッキーだ。小分けされている袋は既に開けられていて、早速スティック状のそれを一本口にくわえると、袋をクシャクシャと丸めて空き箱に詰め込んだ。どうやら、最後の一本だったらしい。そして、すぐに机から未開封のポッキーが出てきた。
 気が付くといつも、彼女はこれを食べている。
 前に、甘いものは頭の働きをよくするから、と笑って言っていた。
 でもそれは俺に対してじゃなく、彼女がずっと好きだった、俺の友人に対して言ってた言葉だった。
 いい奴だけど、単純でえらく鈍い奴だから、彼女に好かれているということもまるで分かっていなかったらしい。夏前くらいから年上の女に夢中で、しかも結構いい感じらしいから、浮かれまくっている。
 彼女がそれを知ったのは九月に入ってからで、それを彼女の耳に入れたのは俺だった。
 だけど、彼女は相変わらず奴から視線を外さない。
「いつもこんな早くに来て、予習なんかやってんの?」
「んー……まぁ、大抵は」
 歯切れの悪い返事に、俺は思わず苦笑という奴を浮かべ、それからズバリ、聞きたい事を聞いてみた。
「さっきのチョコ、山瀬にあげんの?」
 教科書を開こうとしていた彼女の手が止まる。ポッキーをくわえたまま、上目遣いで俺を見た彼女は、ちょっとコケティッシュで、明らかに怒った顔をしているのに、何となく可愛かった。
 彼女は俺を睨んだまま、残りのポッキーをまるでげっ歯類みたいにかみ砕きながら口の中に送り込むと、コクンと飲み込んだ。
「前から言おうと思ってたんだけど、どうしてそうやって私に突っかかってくるの?」
 どうして、ときた。
「好きだから」
 簡潔に答える。それ以外の理由は見つからないから。
 どうしてなんて、俺が聞きたい。
「……またそうやって」
「本気」
 冗談だなんて言わせない。
「まぁ、今更言っても信用してもらえないのは分かってるけどさ」
 自慢じゃないけど俺は結構モテるし、とっかえひっかえ色んな女と付き合ってきた。いや、付き合うというより単に『ヤってた』 だけだった。それは結構知れ渡っていて、彼女も知っているだろうけど。
「本気なんだけどな、山岡さんのことは」
 今度ばかりは、そういう軽い気持ちじゃない。
「だから、山瀬のこと好きなんだって分かったし、まだ諦めきれないんだろうってのも」
 そこまで言って、彼女の顔が少し曇った事に気づき、俺は普段やるように軽く肩をすくめた。彼女は小さく息をつき、ぽつんと呟く。
「諦めきれないっていうか……想ってる期間が長かったせいかな」
 まるで観念したかのように、机の中からチョコレートの箱を取り出す。
「一言も伝えてないし……例え駄目でも言うだけ言ってみようと思ってたの」
 細い指が、箱のふちをそっとなでる。その仕草に、どこかがチリチリと痛むような感覚があった。
「でもね。私には今の……友達っていう関係を壊す程の気持ちが、もうないみたいなんだよね。だって、山瀬くん、すごい嬉しそうに話すじゃない。彼女のこと。毒気抜かれちゃうよねぇ」
 顔を上げた彼女は、ちょっとだけ苦しそうな、それでいてどこか清々しい表情で笑った。
「そんな訳で、あげるのやめて、自分で食べちゃおうかと思って」
 言うなり、勢い良くラッピングを破きだした彼女に驚いた。
「良かったら一緒に食べない?」
「いや、朝から甘いのは……っていうか、いいのそれで?」
 凝ったデザインの箱を開け、中のチョコトリュフをつまみ上げた彼女は、迷うことなく頷いた。
「まぁ、俺にとってはその方が好都合なんだけどさ……」
 言いながら、いまさらながら自分がはっきりと言ってしまったあの台詞を思い出す。
 それは彼女も同じだったんだろう。一瞬動きを止め、その頬をほんの少しだけ赤らめた。
「あの……私、今は……」
「あー、別に今すぐ付き合えとか、そういう意味で言った訳じゃないから」
 何を言い訳がましいこと言ってるんだ。くそ、すげーかっこ悪い。
「うん……ありがとう……」
 彼女はそう呟いて、少しだけ俯き、チョコトリュフをポンと口に放り込んだ。その拍子に、トリュフに塗されていたココアパウダーが唇についた。口の中のトリュフを味わうように口を動かすその仕草が、また妙に色っぽく感じた。
「……やっぱ、ちっとだけもらう」
「ん、いいよ」
 箱を差し出す彼女の手に左手を添えて、右手を彼女の頬に添え、軽く目を見開く彼女に顔を寄せて、ココアパウダーのついた唇に軽くキスをした。
 今まで何度も経験してきた動作。本当に軽く、一瞬の動作だったにも関わらず、手が震えないようにするのに必死になるくらい、変な緊張があった。
 顔を離すと、彼女が面白いくらいに赤くなっていた。その素直な反応が面白くて、笑った。
 彼女の唇に残ったココアパウダーを親指で拭い、席を立つ。釣られるようにして彼女が立ち上がる。が、それと同時に
「はよーっす」
 間の抜けたクラスメイトの挨拶が響く。
「ういっす」
 おいおい、このタイミングで来るか、お前。まさか見てねーよな? 今の。
 そんな俺の心配をよそに、クラスメイトは特に変な様子も見せなかった。
「あれー? 遅刻魔が何でこんな早くいんのー?」
「英語これ以上落とすと、単位足りなくなるから、気合入れてみた」
「ああ、英語午前中が多いからなー。……っつーか、それにしたって早すぎだろ」
 笑いながら席に鞄を置くクラスメイトの横をすり抜けて、彼女が教室のドアに向かう。
「あ、山岡さん」
 彼女は立ち止まると、クラスメイトの手前、何気ない顔で振り返る。
「ゴチになりました」
 さすがに取り繕うにも限界があったらしい。再び顔を赤らめると、軽く俺を睨んで、そのまま廊下へ出て行った。
 やっぱ、ちょっと早く手を出し過ぎたかなとも思ったけど、すぐに考え直した。
 彼女の中に残る山瀬への『想い』 とやらも、少しは吹き飛んだかもしれないし。ゆっくり攻めてくのは、それからだろ?
 これからどうしようかな、なんて考えながら、俺は親指のココアパウダーを小さく舐めた。


  

  



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