夏休みがようやく終わった。
私にとって、夏休みはそれほど嬉しくも楽しくもなかった。
理由は簡単。
学校にこなければ、クラスメイトである彼に会えないから。
体格ばかり大きくて、でも中身は子供みたいで。今どき珍しいくらい素直な男の子。
高校に入った頃、たまたま席が隣同士だった。
英語が苦手な彼は、二年になった今でも、よく私に泣きついてくる。
「山岡さーん。ここ教えてー」
って、まるで鼻を鳴らす子犬みたいに、しょんぼり寄って来て。
英語教諭の小林先生は、やたらと課題を出す先生だから、時間前になると必ず彼は私のところにやってくる。素直な彼は一応自分でやってくるものの、結局分からなくて最後には私のノートを見ることになる。
「しょうがないなぁ」
とか言いながら、私はいつも自分のノートを渡す。
彼に見せるために、いつもより丁寧な字で書いたノートを。
でも今年は――始業式を終えた今になっても、彼は私のところに来る気配はなかった。
英語の課題の提出期限は、今日の始業式終了後までなのに。
結構難しかったはず。はっきり言って、休み前の彼の成績じゃ、分からないと思う。
なのに、彼は余裕綽々といった様子で、窓辺に寄りかかり仲のいいクラスメイトと談笑している。
夏休みの間、ずっと顔を見ていなかったせいなのか、彼が妙に大人びて見える。
何でだろう。今の彼を見てると、夏休み前の彼と別人みたいな気がしてくる。髪形が少し変わって、日に焼けた感じだけど、それほど大きく変わったわけでもないのに。
ふと、彼と目が合う。
一瞬ドキッとしたけど、すぐに笑って見せた。彼は笑いながらも、小首を傾げて見せた。「何?」 と言いたげな表情で。
「ずいぶん余裕あるね。英語の課題、終わってるのぉ?」
からかい混じりに言ってみた私に、彼は一瞬笑みを引っ込め、それから自信満々の笑みを浮かべて見せた。
「今年の俺は、一味違うっすよ」
彼の言葉に、今度は私が首を傾げる。
英語の補習でも受けてた?
私の疑問を解消するように、彼は机の中からノートを取り出し、私の目の前で広げた。
ざっと目を通すと、嘘臭いくらい完璧に出来上がっていた。
「……これ、自分で全部やったの?」
「まっさか」
言いながら、彼はぽりぽりと頭を掻く。
「英会話スクール行き始めてさ。そこの先生に見てもらった」
そう言った時の彼の顔が、彼の変化の原因を物語っていた。
「……さては、美人の女の先生でしょ?」
大人びて見えても、素直なところは変わらないらしい。彼は目を大きく見開き、頬を赤くしながらノートを取り上げて閉じる。
「別にそんなんじゃ……」
「アヤノ先生って言うんだよな。その美人先生は」
さっきまで彼と話していたクラスメイトが、彼の肩に手をかけて、にっこりと笑う。どちらかというと男らしい顔つきの彼と正反対の、結構美形な奴。
「てめっ……言うんじゃねーよ!」
「そういや、講師と生徒のイケナイ関係だったんだよなぁ。いやぁ〜。いかがわしい!」
「それって……付き合ってるの?」
聞きたくない。その反面、聞かずにはいられない。
「結構いい線までっ」
言いかけたクラスメイトの口を、彼の手が塞ぐ。
「いいから黙ってろっつーの!」
分かりやすい反応。その素直さが、今の私にとって最大の凶器になるとも知らず、彼はクラスメイトの首に腕を回し首を締め上げると、そのままプロレスごっこへと突入してしまった。
つまり、彼は英会話教室の先生に惚れていて。そして、クラスメイトの口ぶりからして……多分その先生も……
その後、担任の先生が教室に入ってきたお蔭で、それ以上彼と彼の好きな先生の話を聞くことはなかった。ぼーっとしたまま、先生の話すら聞かず、気づいたら放課後になっていた。
ノロノロと帰り支度をする。教室には誰も残っていなくて、遠くの方で、誰かの笑い声が聞こえる。
窓の外には、昨日と──夏休みの間と何も変わらない夏の空。
あまりにも綺麗で、あまりにも強いその空に、涙すら蒸発してしまったみたい。
昨日、こんなことになるなんて、予想できた? 好きという気持ちの欠片すら、まだ伝えてないのに……ようやく夏休みが終わって、今度こそ伝えようと思ったのに。
高校二年、第二学期のオープニングだっていうのに。
どうやら、私の恋は早々にエンディングを迎えてしまったみたいだ。
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