Sustainable happiness - Cheers!

持続可能な幸せ

Scene3 Cheers!


 今日は金曜の夜。飲み屋街はサラリーマンやOLなど、たくさんの人で賑わっていた。
 大きなチェーン店や、派手なスナックなどが立ち並ぶ大通りを通り過ぎ、私と友人の由加里は細い路地の奥にある小さな居酒屋に足を運んだ。
 ガタついた引き戸を開けると、ちょうどカウンター席が二つ空いていた。
「いらっしゃいませー」
 飲み屋独特の威勢のよい声が飛ぶ。私たちは店員に案内され、カウンターに座った。
「ここに来るの、久しぶりだね」
 由加里が店の中を見渡しながらそう言った。
「そうだね」
 私も由加里と同じように店の中を見渡す。古い昭和の家屋を思わせるような内装。温かみのある白熱灯の照明。木のぬくもりが感じられるテーブルと椅子。
 この店のこの雰囲気が、すごく好きだった。
「本当に、久しぶりだなぁ……」
 かつて同じ職場の同僚だった私と由加里は、お互い気が合ってすぐ仲良くなった。二人ともお酒が好きだったこともあり、この飲み屋に連日のように通っていたのだ。
「どうもー、お久しぶりです」
 その声に振り返ると、伝票とボールペンを手にした一人の男性店員が立っていた。
「どうもー」
「ご無沙汰してましたー」
 私たちはそう言って、軽く頭を下げた。
 女二人がカウンターで人生を語らいながら酒を酌み交わす姿は、結構目立っていたと思う。しかも、連日通っていたのだ。そのせいか、店員にもしっかり顔を覚えられていた。
「お飲み物の注文、先におうかがいします」
 その言葉に、私たちは顔を見合わせてニンマリと笑う。
「やっぱ、とりあえず生中でしょ」
 最初に生ビールの中ジョッキで乾杯。その後サワー、チュウハイなど一通り飲んで、軽く酔いが回ったところで冷酒。それが私たちの飲みスタイル。誰が見ても、私たちは立派な酒豪だっただろう。
「生中二丁」
 店員の声が威勢良く響く。飲み屋の独特の雰囲気に、早くも気分が高ぶってくる。
「あー、ホント久々。早く飲みたい!」
 私の言葉に、由加里が大げさに驚いたような表情を作った。
「まさか、あれ以来ずっと禁酒してた、とか言わないわよね。ウワバミのあなたが」
 その言葉に、私は思わず苦笑した。
「ウワバミはお互い様でしょ。……会社の飲み会とかでは飲んでたけどね。心置きなく、ってわけにはいかないじゃん」
「……そうね。んじゃ、今日は遠慮なく飲んでちょうだい」
「もちろん。浴びるほど飲みますよー」
 あれ以来――その言葉に、私は二人でよく飲みに来た時のことを思い出していた。


 当時、由加里も、そして私も大きな悩みを抱えていた。
 由加里は婚約中だった彼とうまくいかなくなっていて、私は妻子ある人と不倫中だったのだ。
 お互い、他に相談できる人などいなかった。
 由加里の場合、すでに寿退社することが決まっていたし、婚約者は同じ社内の人だったからあまり表沙汰に出来なかった。
 私に至っては、不倫相手が会社の上司だったから、当然人に言えるわけがなかった。本当は誰にも言わないでおくはずだったのだ。
 でも、普段から仲がよかった私たちは、お酒の勢いも手伝ってとうとうカミングアウトしてしまったのだ。
 それから先は、お互いタガが外れたように連日ヤケ酒をあおっていた。愚痴ったり泣いたりするのは、大抵は私の方だった。それを、由加里はいつも真剣に聞いてくれていた。
 二人で明け方まで飲み明かして、数時間仮眠を取っただけで朝会社に出勤する、なんて無謀なことも幾度となくあったっけ……。

 そんな状態が何ヶ月も続いていたけれど、由加里も、そして私も、精神的に限界だった。


「彼と別れる」
 いつものようにお酒を飲みながら、由加里は突然そう呟いた。
 その言葉に、私は驚いてしまった。別れることに対してじゃない。私も同じように、彼――不倫中の上司と別れようと思っていたから。
「そんなに驚いた?」
「……うん……私も、別れようと思ってたから……」
 私の言葉に、由加里は一瞬目を見開き、次いで小さく微笑んだ。
「そっか……吹っ切れたんだ」
「うん」
「良かったね。今は辛いかもしれないけどさ……」
 姉御肌で、人の世話ばかり焼いている由加里は、こんな時でも自分のことより他人の――私のことを考えようとする。私は、そんな由加里にいつも甘えていたように思える。
「えらいよ。ちゃんと思い切れて」
 辛くないと言えば嘘になる。一時は本気で結婚も考えたから。別れないのが子供の為というなら、子供を引き取ってもいいと思った。冷え切った家庭の中に置いておくよりは、再婚でもちゃんと仲のいい夫婦の元で育てた方がいいはずだ、と、そう思っていた。
 でも、それはどう頑張っても実現できることではないのだとはっきり分かった。私にはそんな力も勇気もなく、彼にも私と新しい家庭を築く気はなかった。何より、私の言い分は、子供からすれば身勝手な大人の欺瞞でしかないのだから。
「私はいいんだ。元々自分にも非があったんだし、もっと早くにこうするべきだったって思ったくらいだもん」
 そう。私はそれでいい。辛くても、今はこれが一番いい解決法なんだと思える。
 でも、由加里は?
 すでに退社することを決めていたのだ。職を失い、あるはずだった幸せな未来も失った。男の方もしばらくは白い目で見られたりするかもしれないけど、明らかに由加里の方がダメージが大きい。由加里の性格的特徴であり長所であるはずの世話好きな性格を、彼は否定したのだから。
 そう思ったものの、私はそれを口にすることができなかった。するべきじゃないと思ったから。
 ただ、由加里が微笑んだまま、涙一つ流さないのが気になった。私の話を聞き、一緒に泣いてくれるくらい、由加里は涙もろいのに……。
 そこまで考え、由加里が自分のことを話す時に泣いてるのを見たことがないのに気づいた。そして、微笑んだ由加里の口元が微かに震えていることにも。
「由加里」
 由加里がいつもそうしてくれたように、名前をできるだけ優しく呼んであげる。
「偉いね……私も、見習わなきゃ……」
 本人は微笑んだつもりだったのだろう。でも、その声は震えていて、目からは大粒の涙がこぼれ落ちていた。今までたまっていた悲しみが、一気に溢れ出たみたいに。
 由加里は、ただ静かに泣いていた。婚約者を罵るわけでもなく、自分の境遇を嘆くでもなく。
 多分、私みたいに愚痴ることすら出来ないくらい、深い傷を負っていたんだろう。それが可哀相で、由加里のことを振った婚約者が腹立たしくて、でも、男女の問題なんてどっちがいいとか悪いとかじゃないんだとも思って……いろんな思いが頭をよぎって、結局何の言葉も出てこなかった。
 だから、何も言えない代わりに由加里の背中をずっと撫で続けていた。
 今日は、私の分も泣いていいからね。そう、心の中で呟きながら……


「……なんか、すごく昔のことみたいだなぁ……」
 最後にこの店に来たのは、一年半ほど前。当時は、一年や二年ではお互い傷も癒えないだろうと考えていた。少なくとも、私はそう思っていた。
 でも、時間は少しずつ、そして確実に傷を癒していってくれた。まだ傷は完全になくなっていないし、これからもすべて忘れられるわけじゃないと思う。
 それでも、私と由加里は大切な存在を新たに見つけることが出来たのだ。
「お互い新しい彼氏が出来たら、ここで祝杯を挙げる」
 私が考えていた言葉を、不意に由加里が呟いた。目を向けると、由加里は以前よりもずっと明るい表情で笑った。
「……なーんて約束してたけど、まさか同時に彼氏が出来るなんてね」
「ホントだねー」
 あれから由加里は会社を退職し、別の会社に再就職した。その会社でも由加里はみんなから好かれているみたいだ。よく気が利くから、先輩たちともうまくやっていっているのだろう。
 一方私は、上司との関係を解消した後も会社に残り、以前より積極的に仕事に打ち込んでいた。おかげで部内でただ一人、女性のグループリーダーとして仕事を任されるようになった。
 私たちは以前のように頻繁に会うことが出来なくなったけれど、メールや電話で連絡だけは取り合い、近況を報告したり相談し合ったりしていた。そして、ほぼ同時期に『彼氏ができたよ』 とメールを送り合っていたのだ。
「はい、生中二つ、お待たせしましたー」
 ジョッキがカウンターの上に置かれる。私たちは料理の注文もせず、お互いにジョッキを持った。料理よりもお酒に目が行く辺り、やっぱり私たちは酒豪なんだろう。
 浴びるほどお酒を飲んで、愚痴って泣いて、いろいろ語らったあの時のことは、今はもういい思い出となっている。
 でも、今夜のことは、明日も明後日も、そのずっと先も、幸せで楽しい思い出として残っていくのだろう。そんな気がした。
「んじゃ、久々の飲み語らいといきますか」
「今日はのろけ大会ってことで……」
 私たちは笑いながら、ジョッキを掲げて鳴らした。
「「かんぱーい!」」


  

  



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