Round and Round - Chapter 1 - 01

Chapter 1-01


「おっかしいなぁ……」
 マスク越しに発せられた声は、絶えず吹き荒れる風の音にかき消された。
 後部に荷物を満載した二人乗りの大型バギーが、風を避けるようにして岩陰に停車している。その運転席には、破れかけた地図を広げ唸っている人物が一人。
 目深に被った帽子と大きめのゴーグル、鼻と口をすっぽりと覆うマスク。首元までしっかりと閉まるこげ茶色のジャケットに、同系色のチノパンとハイカットブーツ。それらは完全に砂漠越えの為の装備だった。
 彼女の名はミリアム・フォーディ。
 シートの上にあぐらをかき、色気も何もない服をまとっているが、これでも二十歳のうら若き女性である。ナイフと小銃を腰に携え、単身で砂漠横断を敢行するような少々変わった女性ではあるが。
「……やば。やっぱり間違えてる」
 目印も何もない砂漠を渡る上で重要なのは、自分がいる位置と目的地の方角を正確に把握すること。この砂漠で方位を知るには、星か太陽の位置を頼りにする以外方法はない。
 それを十分承知しているミリアムだったが、悪路を避けながらバギーを走らせているうちに、いつの間にか目的の方角からずれて進んでしまったらしい。岩などの障害物が多い岩砂漠で陥りやすいミスである。
「あ〜も〜っ! あたしとした事が……」
 ミリアムは小さく舌打ちすると、脱いだ帽子の中に外したゴーグルとマスクを詰めこみ、バギーの助手席に放り投げた。
 一つに三つ編みした栗色の長い髪が肩に落ちる。帽子の中に押し込んでいたせいで、好き勝手な方向へ跳ねている毛先が頬をくすぐり、ミリアムはそれを煩わしげに後ろへ払った。
 強い日差しに慣れないせいか、翡翠色の大きな瞳は眩しそうに細められたまま。それでも、その眼はしっかりと辺りの風景を映していた。
 恵みの雨などもたらしてくれそうもない空と、土と岩ばかりの乾ききった大地。吹き荒れる風が砂を巻き上げ、空を青と茶褐色のまだら模様に染める。
「やばいなぁ……早くしないと他のハンターに先越されちゃうよ」
 ミリアムはブツブツと呟きながら、水筒の水をチビチビと飲んで口中の渇きを潤す。
 ハンター。古くは狩猟をする者を指す言葉だったが、現在では遺跡を求め発掘する者、ルインズ・ハンターのことを意味するものとなっていた。
 国も経済も崩壊し、領土争いに明け暮れる各自治区にとって、失われた高度文明の技術――特に兵器の発掘は、領土の維持と拡大に大きな影響を及ぼす。そのため、遺跡発掘業は現在最も稼ぎのいい仕事だといえる。
 しかしながら、誰もができる仕事という訳でもない。
 自治区が組織する遺跡発掘隊や、下請けの遺跡調査隊などに雇われるハンター――俗に傭兵ハンターと呼ばれるハンターもいるが、大抵の場合は、何のバックアップもなく単独、または少人数で発掘を行っているフリーのハンターたちがほとんどである。
 自治区にとって邪魔な存在でしかないフリーのハンターたちは、軍などに盗賊扱いされ、執拗な攻撃を受けることが多い。そんなハンターにまず求められるのは、生き残れるだけの戦闘能力と言ってもいい。
 ミリアムは数年前からハンターとして仕事をするようになった。
 遺跡に対する豊富な知識と高い戦闘能力。ここ数年で頭角を表してきた凄腕のハンターとして、いつしかミリアムは軍隊や発掘隊から『疫病神(カラミティ)』と呼ばれるまでになった。
 初めは呑気に構えていたミリアムも、最近では賞金をかけてまで『カラミティ』を捕まえようとする組織も現れ、さすがに辟易している。
 仕事時は顔も隠して男装し、素性もばれないようにしているが、いつまでもそれでごまかせるどうか分からない。
 しかし、そんな危険な状態になっても、ミリアムは遺跡発掘を止めようと思ったことはなかった。
 ミリアムがハンターにこだわる理由。それは生活のためだった。
 戦争孤児であるミリアムにとって、今も世話になっている孤児院のマザーや子供たちは家族同然。
 周辺自治区の情勢は、ここ数年悪化の一途を辿っている。すでに孤児院は満員状態なのだが、人のいいマザーは孤児たちを放っておくことなどできなかったのだ。
 家族である大勢の孤児たちを養う為に、ある程度の年齢に達した孤児たちは、皆ミリアムのように仕事をして孤児院を支えている。しかし、実入りの少ないマトモな仕事では、食料確保がやっとという状態なのだ。
 その点、遺跡発掘は実入りがいい。ミリアムの祖父がハンターだったこともあり、ノウハウは叩き込まれている。祖父が死ぬ前は、よく遺跡発掘に同行していたため、遺跡内の探索も手馴れたものである。
 最も、その頃はハンターの仕事も現在ほど危険ではなかった。祖父の仕事が、発掘よりも失われた文明の考古学的な研究を主としており、ハンターという呼び名もまだ浸透していなかった時期だったせいもある。
――まさか、自分もこんな仕事をすることになるとは思わなかったけど…
 しばらく物思いにふけっていたミリアムだったが、小さく息をつくと、水筒のフタをしっかりと閉めて放り出した装備をマスク、帽子、ゴーグルの順に装着する。
 逸る気持ちを抑え少し多めに休憩を取ったことで、ミリアムはすっかり落ち着いていた。
 焦っても仕方がない。むしろこんな時に急いても、ろくな結果にならないのだ。
――砂漠で迷子になる、とかねぇ……
 胸中で自嘲的に呟きつつも、その表情に悲壮感はなかった。
 砂漠での遭難はそのまま死を意味する。実際、そうして息絶えた人間の骸を発見する事も少なくない。
 しかしミリアムは、これまでも何度か砂漠で遭難しかけ、そして無事生還を果たしてきた。華奢な見た目にそぐわぬ体力と、生き延びる為の知識。ミリアムには生きる為に必要なそれらが備わり、更にその力を最大限に発揮することが出来る精神的強さも持ち合わせていた。
 もう一度地図と太陽の位置とを確認し、進路方向を決定。バギーのエンジンをかけた。
「チビたちに新しい服も買ってやんなきゃ」
 ミリアムは小さな呟きを残して、再び砂漠を走り出した。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 ……アーク

 誰かが呼んでいた。
 辺りを見回すと、そこは戦場。
 たくさんの人間が死に絶え、まるでゴミのように地面に散らばっていた。

 次はどこへ行って殺せばいいんだろう。
 途方に暮れ立ち尽くしていると、風景が黒煙や鮮血に染められた戦場から白く無機質な室内へと変わっていた。

 もう、人を殺さなくていいのよ

 そう言って、血まみれの手を握り締めた少女がいた。
 いつも優しげで、なのにどこか哀しみが入り混じったような微笑みを湛えた少女だった。
 愛らしかった少女はいつしか美しい女性になり、優しくも哀しいあの微笑みは、子供を優しく見守るような、深く穏やかなものに変わっていた。


 やめて……

 微笑みを浮かべた女の顔が、苦しげに歪む。

 ……殺さ、な………助、け……て

 自分の手が女の首を締めているのだと気づいても、その手を緩めることができない。
 女の顔は赤黒く変色し、見開かれた翡翠色の眼には残忍と言うに相応しい笑みを浮かべた自分の顔が映っている。

 た、す……け……

 女は自分の手の中で息絶えた。
 どんなに名前を呼んでも、あの美しい翡翠色の瞳に光が戻ることはない。
 しなやかな栗色の髪を撫ぜても、あの微笑みを見る事は叶わない。

 本当は救いたかった。
 なのに、壊してしまった。

 この手が、再び血に染まってゆく…



「っ!」
 男は弾かれたように体を震わせ、かけていた毛布を跳ねのけて起き上がった。見開かれたブルーの瞳が、落ち着きなく辺りを見回す。冷や汗で湿った額に、金色の髪が張り付いてた。
 薄暗い部屋には男以外誰もいない。あるのは部屋の隅に置かれた自分の荷物と、簡素なベッドだけ。
 男はゆっくりと手の平を広げた。その手に血の跡はない。
――またあの夢……
 自分を『アーク』と呼ぶ女の夢。それはこの男、アークが度々見る夢だった。少なくとも月に一度、ひどい時はほぼ毎日、あの夢にうなされている。
――あれは……
 アークは夢に出る女の顔を思い出そうとした。だが、どうやっても思い出すことができない。ただ、翡翠色の瞳と栗色の髪がおぼろげに浮かぶだけ。
――あれは、誰なんだ……?
 アークには記憶がなかった。夢に出る女のことはおろか、自分のことさえも。
 二十年ほど前、瀕死の重傷を負い砂漠に倒れていたアークは、運良く通りがかった傭兵に助けられた。しかし、意識を取り戻した時はすでに記憶が無く、自分が誰なのかも分からない状態だった。
 覚えているのは、自分が『アーク』 と呼ばれていたことだけ。
 後に、自分が『ネオス』 と呼ばれる特殊な能力を持った人種だということは分かったが、それだけだった。
 文明が滅びる以前――大規模な戦争を繰り返していたとされる時代、戦争の為に生み出された人間よりも優れた人種。それがネオスだという。
 寿命、治癒能力、身体能力に優れ、更に常人では考えられない特殊な能力を持つ者も多かったらしい。
 今の時代に生きるネオスは、それらの子孫ではないかと言われている。無論、その説が完全に正しいと証明された訳ではない。中には環境の激変が原因で突然変異した新人類だという説を唱える学者もいる。年を追うごとに、ネオスの人口割合が増えているからだ。
 どちらにしても、争いの絶えない現代において、ネオスは兵士として利用されることが多かった。戦場を渡り歩く傭兵にも、ネオスは大勢いる。
 アークもその一人であり、ネオスと呼ばれる者の中でも特にずば抜けて高い治癒能力と身体能力を持っていた。
 恐らく、以前も戦闘に関わっていたのだろう。記憶は無くしても戦闘技術だけは身体が覚えていたらしく、アークは傭兵仲間からも、かなりの実力者として見られるようになった。
 もしかしたら、記憶を取り戻せるかもしれない。アークが傭兵になったのは、そうした思いがあってのことだった。
 しかし、二十年経った今も、自分の過去は何一つ分からなかった。
 そう。この二十年、移り行く時代の流れに取り残されたかのように、アークは何一つ変わっていなかった。その外見さえも二十年前と大して変わっていない。ネオスでも、そこまで体が衰えない者はいなかった。
 いつしか、アークは昔の自分を取り戻すことを諦めていた。二十年も経った今、過去を取り戻したところで大して意味がない。そう思えたのだ。
 ただ、漫然と寿命が尽きるのを待ち続ける生活。傭兵から足を洗わないのは、戦闘の場に身を置いた方が早く死ねると思っているからだった。
 そして、敵から『死神』 と呼ばれながらも、自分の死を望む生活は今も続いている。
 ベッドに体を横たえ、ぼんやりと空を見つめていたアークだったが、不意に何かの気配を感じ、枕もとにあった短剣を手に起き上がった。
 一つの足音が近付く。アークは壁を背にしてドアの横に立ち、注意深く気配を探る。足音は次第に大きくなり、やがて部屋のドアの前で止まった。ドアがノックされる。
「発掘隊の者だ。おい、起きてくれ」
 今回の雇い主の部下である男の声だった。
「起きている」
 ゆっくりとドアを開けると、そこには予想通り無精ひげを生やした小柄な男が立っていた。
「緊急事態だ。見張りがいなくなった」
 男はアークの顔を見るなり慌てた口調で言った。
「他の連中が探したら遺跡の中でノビてやがった。カラミティがもう来てるらしい」
「今の状況は?」
「出入り口は包囲した。ただ、遺跡内を捜索した時に結構な人数がトラップにやられちまってな。命に別状はないが、使い物にはならないんだ。まったく……いつ仕掛けられたんだか」
 最後の呟きには答えず、アークは必要な武器や装備を手に部屋を出た。
 今回アークが受けた依頼は賞金首の捕捉。
 軍や発掘隊を出し抜いて、遺跡を荒らしまわっているというフリーのハンター『カラミティ』 がその対象だった。
 ハンターや発掘隊の間では有名らしいが、顔を見た者はいないらしい。まだ幼い少年らしいだの、本当はかなりの老体らしいだの、挙句の果てには千人の兵士を一人で殲滅させただのと、デマとも思える情報まで飛び交っている。
 だた一つ確かだと思われる情報は、カラミティがネオスであるということくらいである。
「カラミティに間違いないのか?」
 アークが歩きながら尋ねると、小走りで付いて来る男が真顔で頷いた。
「奴のいつもの手口だ。ふざけたトラップでこっちが混乱している隙に、お宝をかっさらって行くんだよ」
 今回の雇い主である発掘隊も相当痛い目に合っているようで、自分たちの縄張りで遺跡が発見されたのをいいことに、カラミティを誘き出す作戦を立てたらしい。アークはその捕捉に当たることになっていた。
「カラミティが現れるまであと二日はあると言っていたな。仕事も、二日後からだと聞いていたが」
「リーダーはそう目論んだようだけどな……ま、詳しい話は現場でリーダーに聞いてくれ」
 アークは苦笑した男に対し特に反応を返すこともせず、そのまま視線を前方に向けた。
 男はそんなアークを面白くなさそうに見やる。その端整な横顔には、何の表情も浮かんでいなかった。

       

     
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