アークが遺跡内に進入してからすでに一時間が経過している。
見取り図もない不案内な遺跡内で、遺跡に関しては素人のアークが遺跡のエキスパートであるカラミティを探すのはさすがに困難だった。
だが時間が経てば経つほど、カラミティを逃してしまう確率が高くなる。たとえ非効率的であっても、これ以上のことは今のアークにはできなかった。
カラミティを逃せば残り半分の報酬を手にすることは出来ないが、それならそれで仕方がない。元々、仕事は二日後から始まるはずだったのだ。一応こうして捜索をしているのだから、相手も文句は言えないだろう。
暗視スコープを頼りに、遺跡内を注意深く捜索しながらそんなことを考えていたアークは、不意に足を止めた。
前方に微かな明かりが見える。開け放たれた扉の中から、その光はもれていた。
足音を立てぬよう、細心の注意を払いながら近付く。状況から考えても、ここにいるのがカラミティである可能性は高い。
――生け捕りか。面倒だな。
念のため持ってきていた武器。しかし、殺さずに捕まえるならアークに武器は必要なかった。
――普通の相手なら、な。
多少大げさな部分もあるだろうが、相手は一人で軍隊をも相手にできるほどだ。一筋縄ではいかないだろう。
扉まで約三十メートル。一気に攻め込むべきか、もう少し中の様子を探るべきか。
一瞬考えた後、アークは静かに暗視スコープを外した。光があるところでは、明るすぎてかえって見えないからだ。
そして、アークは静かに息を吸い、次の瞬間力強く地を蹴った。
――来る!
相手が動き出すと同時に、ミリアムはその気配を察知し銃を構えた。
タイミングを見計らってライトを消す。誰かが扉から突入するのが、暗視スコープ越しに確認された。相手は突然明かりが消えたことで視界を奪われ、一瞬動きが鈍くなる。
ミリアムはためらう事なく引き金を引いた。発射された弾は四発。動きを止めるため両足を狙うが、それらはいとも簡単に避けられた。
――すばしっこい奴。
内心舌打ちしたミリアムだったが、すぐに次の行動に出る。
一方、不意打ちをくらったアークは、それでも動きを止めることはなかった。
相手が暗視スコープを装着しているかどうか分からないが、正確な射撃であることは確かだった。
しかし、せっかく暗くしたところで、銃を発砲してしまえば発砲時の火花で居場所がすぐ分かってしまう。
アークは火花の見えた方向へ突進する。が、一瞬の差で相手はその場から逃げ去っていた。
――右!
アークの右腕が空を切る。それを敏感に察知したミリアムがとっさに身をかがめる。頭との差はわずか数ミリだった。
――あっぶなー……
ヒヤリとしながら、ミリアムは手にした爆弾を地面に叩きつけた。瞬間、爆弾は大きな爆音と共に炸裂。
「っ!!」
投げつけたのは音と光だけの爆弾。ミリアムは一定の音量を超えた音のみをカットする特殊な耳栓をつけているので何ともないが、それは常人なら即昏倒するほどの大音量だった。
至近距離でまともに食らったアークの体が、グラリと傾ぐ。
しかし。
――うそ……
ミリアムは愕然とした。
アークは倒れることなくその場に踏みとどまっていた。多少のダメージは食らったようだが、昏倒するほどではなかったのだ。
――効いてない!?
ミリアムが装着している耳栓は、普通の店に売っているようなものではない。最新装備を配した軍隊ですらも、この爆弾の音を防ぐような装備は持っていないはずだった。
――やってくれる……
さすがだ、とアークは感心していた。
一人で軍隊などを相手に戦っているだけあり、一度に大勢の兵力を殺ぐ術を知っている。相手の命を奪うことなく脱出することが目的なら、こういった戦術は最も効果的だ。その戦術といい、身のこなしといい、かなり戦闘慣れしていることが分かる。
――あまり手加減できそうにないな。
生け捕りにすれば問題ないのだ。命に別状がなければそれで任務を遂行したことになる。
アークが傾いだ体勢を立て直し、目を閉じた。
その瞬間、ざわり、とミリアムの全身が粟立つ。
それは、未だかつて経験したことのない言い知れぬ恐怖。戦闘において、ミリアムはこれほどの恐怖を味わったことはなかった。しかも、相手は武器も手にしていないたった一人の人間なのだ。
一瞬だけミリアムの体が硬直するのを、アークは敏感に察知していた。
アークが地を蹴り間合いを一気に詰める。一瞬反応が遅れたミリアムは、避ける暇もなく繰り出された拳を両腕でガードする。
インパクトの瞬間、左上腕に装着していた金属製のガントレットが砕ける。それと同時に、腕の骨が嫌な音を立てて折れたのをミリアムは感じた。
前へ押し出すように相手の拳を受けたミリアムだったが、勢いを完全に殺すことが出来ず、そのまま後ろへ弾き飛ばされる。
受身を取り、床を転がるミリアムに、アークは間髪入れず次の攻撃を仕掛ける。鋭い蹴りが飛んでくるのを、ミリアムは転がりながらかろうじて避けた。衝撃で帽子が吹っ飛んでしまったが、拾っている暇などない。
――こいつ、やばい。
ネオスと呼ばれる人種の中で、ミリアムの能力はそれほど高くない。素早い状況判断と、それによって導き出される最も効率的な戦術があるからこそ、ミリアムは一人でここまで生き残ってこられたのだ。
――殺さなきゃ、やられる……!
迷っている暇などなかった。全く動かせない左腕を庇いながら、ミリアムはホルスターに納まっていた銃に右手を滑らせる。初速が速い散弾タイプのこの銃は、殺傷力がきわめて高い。
右手で銃を抜き取り狙いを定め、人差し指が引き金を引いた。流れるような一連の動作は一瞬の早業で、相手に避ける隙を与えなかった。
――仕留めた!
が、確信を持ったミリアムの目の前で、目を疑うような出来事が起こった。
放たれた銃弾は、目的物を貫く直前で何かにぶつかったかのように爆発し、四散したのだ。
何が起きたのか分からず、驚愕に目を見開いた次の瞬間、ミリアムは首元に衝撃を受け、そのまま地面に叩きつけられた。
「ぐっ…!」
一瞬意識が遠のいてしまうほどの衝撃と力だった。
相手は片手でミリアムの喉元を締め付け、素早くミリアムの体に馬乗りになる。
折れた左腕を容赦なく踏まれたミリアムは、たまらず悲鳴を上げかけるが、その力に抵抗どころか息をすることすらままならなかった。
――だめ……だ……敵わない……
「無駄な抵抗はするなよ」
言って銃を取り上げながらも、アークは困惑していた。掴んだ首は細く、馬乗りになり押さえつけている体も、思った以上に小さく華奢だった。
――女、だったとはな……
片手で首を押さえながら、アークは携帯用のライトを点けた。闇に包まれていた室内を薄明かりが照らす。
アークは押さえつける手の先に視線を走らせ、そして息を飲んだ。
栗色の長い髪。
苦痛に歪んだ顔。
――……まさか……
アークはゆっくりと、女の目を覆い隠している暗視スコープを外した。
現れたのは翡翠色の瞳。
夢で何度も見た、あの瞳だった。
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