Round and Round - Chapter 2 - 04

Chapter 2-04



 酒場のカウンターで約束の時間までの暇をつぶしていたアークは、空になったグラスをカウンターに置いた。それを合図と取ったカウンター内の店員が歩み寄ると、アークは勘定を置いて席を立つ。
「まいど」
 店員の声を背に聞きながらアークは酒場の外へ出ると、待ち合わせ場所であるノルの店に足を向け、ゆっくりと歩きだした。
 昼間の暑さは鳴りを潜め、既に肌寒いくらいになっている。周辺の土地のほとんどが砂漠と化している為、昼夜の気温差はかなり激しい。だが、そんな寒さも街の住人にはどこ吹く風。通りには街灯が灯り、相変わらず活気に満ち溢れていた。
「やだぁ、もう。そういうことじゃなくて」
 どこか媚びたような、女の甲高い声。それに重なるように、男のだみ声が耳に入ってきた。
「じゃあ、どういう意味だ?」
「んもぅ。自分で考えてごらんなさいよ」
 女はそう言って、絡みつくように男の腕にしがみつく。男はそんな女を伴いながら、アークの横をすり抜けていった。
『そういうことじゃなくて』
 ノルの店で言われたミリアムの言葉を、不意に思い出す。
 あの後、ミリアムが何を言おうとしていたのか、察しはついた。ミリアムが自分の――アークの身を案じているのだと言いたかったのだろう。本心かどうかはともかくとして、その手の言葉は幾度か言われた事がある。
 だが、これまでもそうだったように、ミリアムのその言葉を素直に聞く気はなかった。どの道、アークが持つ能力を完全に把握すれば、心配など口にも出さなくなるだろう。
 強すぎる力は持っていても敬遠されるだけ。それは、嫌というほど思い知らされてきた。ミリアムも他の人間と同様、必要以上に自分と関わりを持とうなどと思わなくなるだろう。
 そこまで考え、アークはふと息苦しさを感じ立ち止まる。息苦しさはすぐに消えたが、妙な違和感が胸部に残ったまま。
 何かがつかえてるような、痛みにも似たその感覚に、アークはわずかに顔をしかめた。
 仕事を反故してまでミリアムを助けてしまった事。今までなら断っていたような仕事を引き受けてしまった事。頼まれもしないのに荷物運びなどに手を貸してしまった事。
 ミリアムと出会ってからというもの、アークは自分自身の行動に困惑していた。
 そして、今感じた息苦しさにも。
――どうかしてる。
 アークは小さくため息をつき、軽く頭を振った。
 戦場という緊迫した場所に身を置いていないから、余計な考えが浮かんでしまうのだろう。アークは今までの困惑を頭から追い出し、歩き出しながら頭を切り替えた。
 この街に来るまでに、ハンターについての基礎的な知識は得たものの、肝心の護衛に関することは何も打ち合わせていない。護衛と言われているにも関わらず、こうして別行動を取っていること自体おかしいのだが、ミリアムはこの街なら安全だと思っているらしい。
 ならば、どの程度のレベルで護衛をすればいいのか。護衛ならば、クライアント、つまりミリアムの生命を第一に考えるのは当然として、どの程度の反撃をすべきかなども決めておいた方がいい。
──戦闘回避が主だろうが……
 そうして取り止めのないことを考えながら歩きだしたアークは、視界の隅に映った栗色の髪を捕らえ、反射的にそちらに目を向けた。
 一つに編まれた三つ編みを揺らし、颯爽と歩くその後ろ姿は、間違いなくミリアムのものだった。が、約束の時間が迫っているにも関わらず、ミリアムはノルの店とは反対の方向へと歩いていく。
 他に用があるのかと思ったが、すぐにそうではないことにアークは気付いた。
 ミリアムの後方には、彼女よりも少し若い男がいた。平静を装っているが、ミリアムの後ろ姿を見つめるその目が、ただの通りすがりではないことを教えていた。
 ミリアム本人も、どうやら気付いているようだった。その足は迷うことなく路地裏へと向かっている。
 撒く気か、それとも迎え撃つ気か。どちらにしても、アークが取る行動は一つだけだった。
 アークは思わずため息を漏らすと、ミリアムが入っていった路地の一本手前の路地に入った。辺りに人がいないことを確認し軽く助走を付けて地を蹴ると、軽々と屋根の上へと舞い上がり、そのまま音もなく着地した。
 目を凝らすと、丁度ミリアムが路地の角を曲がったところだった。ミリアムの姿が見えなくなると、追跡者は小走りで後を追いながら銃らしき物を手にしていた。
 それを見た瞬間、アークの脳裏に何かがフラッシュバックした。

 走るたびに揺れる栗色の髪。
 不安の色を浮かべ縋るように見上げる翡翠色の瞳。
 華奢な体に狙いが定められた銃口。

 締めつけるような痛みと共に浮かんだそれらの映像が何なのか、それを認識する前にアークの体はその場からかき消えていた。


──待ち合わせ時間も迫ってるし、さっさと終わらせないと。
 路地の角を曲がったミリアムは、特に構える事もなく両手を垂らしたまま追跡者を待った。気配は消えていない。恐らく路地の角で心の準備でもしているのだろう。
「早くしないと、本気で逃げちゃうよ」
 ミリアムのおどけたような台詞と同時に、追跡者が身を翻して銃を構えた。ミリアムはそれをしっかりと見据え、引き金が引かれるギリギリのところで横に飛びのいた──はずだった。
──えっ!?
 何か大きな物が視界を遮る。それは包み込むようにミリアムの動きを封じた。同時に、普通の銃声とは違う頼りない音が辺りに響く。
「あっ」
 追跡者の驚いたような声に、ミリアムは咄嗟に顔を上げる。自分を抱え込む長い腕と広い胸。その上で金色の髪が揺れる。
 それがアークだと理解したと同時に、ミリアムは自分を抱える腕の一方が離れ、剣を抜き放った事に気付く。
「駄目!!」
 その声に、アークは手から離れかけた剣の軌道を咄嗟に変えた。放たれた剣は追跡者の頬を掠め、鈍い音を立てて後方の土壁に突き刺さる。
 追跡者は目を見開いたままそっと自分の頬に触れ、次にゆっくりと剣の突き刺さった土壁を見、最後に崩れ落ちるようにへたり込んだ。
「……良かったぁ」
 ミリアムはアークの腕の中で大きく息をついて脱力すると、今だ拘束を解こうとしないアークを再び見上げた。状況が飲み込めず怪訝な顔をするアークと目が合い、そのあまりに近い距離に何となく気恥ずかしさを覚えた。
「えっと……とりあえず、もう大丈夫だから離してもらえないかなぁ?」
 その言葉に、アークは我に返った様に腕を解いた。ミリアムはそんなアークの背後に回ると、背中を払うように叩いた。
「あーあ……汚れちゃったねぇ」
 アークの背中には赤い粉状のものが付着し、拳大ほどの弾痕を残している。アークは背中に手を回し、手に付着したそれを見て軽く眉を上げた。
 それが戦闘訓練などに使うペイント弾のインクだと分かり、アークはやっと納得した。
 撃たれた瞬間、衝撃はあったものの弾が体を貫く感覚はなかった。その時点でおかしいと気付けたはずなのだ。普段のアークであったならば。
──俺は、何をしている?
 考えてみれば、追跡者とミリアムの実力差は尾行の段階で容易に想像がついたはず。アークが出て行かなくても勝負は見えていただろう。万一そうでなかったとしても、危なくなった段階で助ければそれで良かったのだ。
 いや、そもそも身を呈して助ける必要などなかった。追跡者の動きを止めればそれで済んだはずなのだ。
──なのに、何故……
 半ば呆然としているアークを他所に、ミリアムは追跡者へと向き直る。
「ジョン、大丈夫?」
 ジョンと呼ばれた追跡者は、見開かれたままの目をミリアムに向けた。
「……大丈夫じゃねえよ。死ぬとこだったぞ」
「いいじゃん。死ななかったんだから」
 ミリアムが歩み寄り、手を差し伸べる。その手に掴まり、ジョンは何とか立ち上がった。
「これに懲りて、もうあたしに挑戦しようとか思わないことだねぇ。剣が飛んできたくらいで腰抜かしてるようじゃ、まだまだ」
 揶揄するような口調のミリアムに、ジョンは悔しげに唇を噛みしめ、アークを睨み付ける。その視線に気付いたアークは、完全に無表情に戻った。
「……今回は邪魔が入ったけどなぁ、次は絶対負かしてみせるからな!」
 ジョンの言葉に、ミリアムは苦笑した。
「もう、いい加減諦めればいいのに」
「絶対いやだね。次こそ見てろよ!」
 人指し指をビシっとミリアムに突きつけると、ジョンは踵を返しあっと言う間に走り去っていった。後に残されたアークとミリアムの間に沈黙が流れる。
「……邪魔だったか」
 アークの言葉に、ミリアムは苦笑しながら首を横に振った。
「全然。むしろありがたかったけど」
 言って、ミリアムはジョンがこの街の武器屋の息子である事、親の反対を押し切り運び屋になりたいと言い、ミリアムにしつこくつきまとっている事を簡単に説明した。
「護衛やるからってしつこいから、あたしに勝ったら……なんて条件つけちゃったんだけどね」
「それを追い払うのも、俺の仕事なのか?」
 幾分剣呑な口調に感じたのは、ミリアムの気のせいなのか。見上げたアークの表情は、相変わらずの無表情だった。
「まさか。あくまで『お仕事中』 の護衛だもん。まぁ、その辺の細かい話は後で打ち合わせるとして」
 ミリアムはそこで一旦言葉を切ると、ずいっとアークににじり寄り、上目使いにアークを見上げた。
「アーク、あなた弾がどこに当たったか分かってる?」
「左肩甲骨の側だ」
「心臓の裏側とも言うけど……実弾だったらどうすんのよ」
「あんたは弾道から外した」
 例え貫通したとしても、ミリアムが傷つく事はない。そう言いたいのだろう。ミリアムは心底呆れたと言わんばかりに首を振り、左手を腰に当てると、右手の人指し指でアークの胸を指した。
「あたしじゃなくて、アークの心臓に穴が空くでしょ」
「護衛が命を惜しんでどうする」
 その一言に、ミリアムは口を閉ざした。そして、相変わらず上目使いのまま瞬きもせずにじっとアークを見つめた。
「文句があるなら」
「解雇しろって? まだ仕事らしい仕事もしてないのに?」
 言葉を受け継いで言うと、ミリアムは大きくため息をつく。アークの言い分に納得していない表情だった。
 アークは土壁に歩み寄り突き刺さった剣の柄を掴むと、力を入れて一気に引き抜く。それを鞘に納めぬままミリアムの前まで戻ると、その刃を手の平に押しつけすっと引いてみせた。切れ味のよい刃は手の平の肉を簡単に切り裂き、一瞬見えた白い肉の切れ間から鮮血が滲み出る。
 目を見開くミリアムの前で、アークはその手の平をミリアムに見せつけるように差し出した。とめどなく溢れていた血は、そのまま手の平から溢れ滴り落ちるかに思われた──が。
「このくらいの傷であれば、ふさがるまで十秒はかからない」
 そう言って剣の刃で削ぐように血を払う。血で汚れはしたものの、そこには古傷のようにすっかりふさがった切り傷痕が残っているだけだった。
「銃弾でも同じ事だ」
 戦闘中、銃弾を浴びるようなヘマは滅多にしないが、撃たれたとしても常人には考えられない速度で損傷した肉体は再生する。それこそ、ルシアの治癒能力を使った治療と同じように。
──どうせいずれ分かる事なら、先に説明しておくのもいいだろう。
 そうでもしなければ、ミリアムの追求から逃れる事が出来ないような気がしたからだ。いつもなら、一睨みで相手を黙らせ、そのまま無視してしまうというのに、馬鹿丁寧に説明している自分をアークは可笑しく思った。
 だが、淡々とまるで武器の性能説明をしているかのようなアークに、ミリアムはその眼差しを変える事なく、むしろ更に顔を顰めた。
「撃たれても死なないとして、痛みはあるの?」
「感覚はある」
「それって『痛い』 って言わない?」
「行動に支障が出るほどじゃない」
 間髪入れず返ってくるアークの返答に、ミリアムは一瞬沈黙し、それから大きく息をついた。
「……分かった。んじゃ、とりあえずノルじいのとこ行こう」
 クルリと踵を返すと、アークの返事を待たず歩き出す。アークも剣を鞘に収めると後を追って歩き出した。
 狭い路地はまるで迷路のようで、土地勘のない者ではすぐに迷ってしまうような道だったが、しばらくするとアークも見覚えのある大通りへと抜け出た。
 大通りを横切りノルの店に入ると、店内は既に薄暗くなっていた。
「ノルじい、ただいまー」
 昼間と同じようにカウンターに身を乗り出すミリアム。それに答えるように、重たげな足音を立ててノルが奥から顔を出した。
「遅かったのぉ。武器の方の調整は終わっとるぞ」
「ありがと。それとさ、防弾ベスト一着出してくれる?」
「何じゃ、結局買うのか」
 何か言いかけたアークを、ミリアムは手で制した。 
「うん。アークが着れるくらいのサイズ、あるかな」 
「何着か見繕ってくるから、そこで待っとれ」
「はーい」
 返事をしながらミリアムがアークを振り返る。
「これは命令でも何でもなく、あたしからのお願いなんだけど、やっぱり防弾ベスト着てくれると嬉しいなぁ」
「必要のない物に何故金をかける?」
 勝手な事をして怒っているのか、それとも呆れているのか、いまいち表情の読めないアークに、ミリアムはまるで聞き分けのない子供を諭すかのような表情で微笑んだ。
「アークに必要ないのは分かってるんだけど……正直言って、血見るの好きじゃないんだよね」
――特に、あたしに関わりのある人のものは。
 心の中でそう付け加えつつ、
「まぁ、あたしのわがままって事で、ね?」
 お願い、と、小さく手を合わせるその様子を、アークは珍しい物を見るような目で見つめる。
「血を見るのが嫌いなら、戦闘になるような所に行かなければいいだろう」
「あたしはそんなつもりないんだけどねぇ。勝手に襲ってくるんだもん」
「それだけの事をしているからだ」
「遺跡を有効活用できないお馬鹿な軍隊に渡すより、よっぽど世のため人のためよ。あたしほど良識あるハンターはいないと思ってるんだけどねぇ」
 飄々としたミリアムの言葉に、アークは小さくため息をついた。
「……あんたと話していると頭が痛くなる」
「だとしたら、アークの頭が固いんだよ。アークは体も、ついでに財布も痛まない。あたしは生き残りの確率が上がって、おまけに血を見なくて済む。お互い何のデメリットがある?」
 畳みかけるミリアムに、アークはとうとう降参した。
「……分かった。動きが制限されないなら構わない」
 その言葉にミリアムの表情がパッと明るくなる。
「その辺は大丈夫。自信持っておすすめするよ。ノルじいの装備使ったら、他は使えなくなるくらいだもん」
「嬉しい事を言ってくれるのぉ」
 いつの間にか戻ってきていたノルは、カウンターに防弾ベストを広げてみせた。
「じゃ、じっくり選んでてね。あたし車回して来るから」
「ほれ、鍵を忘れとるぞ」
 ノルが差し出した車のキーを受け取ると、ミリアムはどこか軽い足どりで店を出る。それを見送った後、ベストを手にしようとしたアークに、ノルが身を乗り出してニヤリと笑う。
「なかなか強力じゃろ? ミリィの『お願い攻撃』 は」
 先ほどの会話を聞かれていたのだろう。からかうようなノルに気分を害したのか、アークはちらりとノルを見、口元を歪めた。
「その台詞、そっくりそのまま返す」
 その言葉に軽く目を見張るノルだったが、数分後、その言葉の意味を思い知らされる事となった。
 ミリアムという守銭奴によって。


       

  



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